第191回 長島精工 株式会社
1973年7月、宇治市槙島町の貸工場から始まりました。現社長の父・長島善之氏と祖父・晃氏が、数名の従業員とともに機械加工の下請け会社として独立したのが原点です。祖父は京都府の役所に、父は大手重工メーカーに勤めていましたが、家族を養うため、寝る間も惜しんで働きました。
当時の金属加工の現場では、ヨーロッパ製の機械が主流でした。しかし故障の際、海外から職人を呼ぶのは費用がかさみ、対応も遅く、多くの工場が頭を抱えていました。そうした中、善之氏は輸入機を巧みに直す技術を持ち、その評判は口コミで広がります。卵選別機、割箸割き機、ストロー屈折機械など、独自の製品も次々と世に送り出しました。ある家電メーカーでの修理中、「これほどの技術があるなら機械を作ってみては」と勧められ、今も主力商品の一つである平面研削盤が誕生しました。
現社長は1996年、大学卒業後に入社しました。経済学部で金融を学び、福祉施設でボランティアに励んだ学生時代。就職活動中に父から「うちの社員の不安を解消するのもボランティアではないか」と諭され、入社を決意します。現場の仕事を一から覚え、やがて社長業も学び始めました。判断は早く、即決を心がけ、父の存命中は社員を惑わせぬよう意見を一つにしてきました。
新社屋の建設とリーマン・ショックが重なる苦境の中、2010年、37歳で代表取締役社長に就任します。「命を取られること以外、たいしたことはない」という父の言葉を胸に、「今が底辺、あとは上がるだけ」と信じて走り続けました。その努力が実を結び、売り上げは今日まで右肩上がりを続けています。
「新しいものを作り続けるのは当たり前、現場を見て社会情勢を見極め、時流にどう乗っていくかを常に考えることが大切」と社長は語ります。かつて日本が学んだヨーロッパへ、今度は日本の機械を届けたい―それが夢です。何より社員を大切にし、一円でも多く還元したい。技術と人を礎に、長島精工は次の時代へと歩み続けます。
社員を第一に考えるその姿勢こそが、離職者の少なさと右肩上がりの成長を支えているのだと取材を通して強く感じました。